「父が消えた」 「老人力」 赤瀬川原平(尾辻克彦)さん 死去 [文化]
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前衛芸術家で芥川賞作家でもある、赤瀬川原平さんが
26日、敗血症のため東京都町田市の病院でお亡くなりになった。
赤瀬川さんは、荒川修作さんらと1960年に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。
制作したオブジェを街頭で壊すなど、『反芸術』運動を展開。
1963年に高松次郎さん、中西夏之さんとつくった「ハイレッド・センター」では、
白衣姿で道路の敷石やマンホールの蓋を徹底的に掃除するイベントを行った。
また同年、千円札を原寸大で印刷して作品として発表。
1970年に有罪が確定したが、この「千円札裁判」は、
芸術仲間が、法廷で支援活動を繰り広げ、
「芸術裁判」として、世間の注目を集めた。
1981年、芥川賞を尾辻克彦の筆名で書いた
『父が消えた』で受賞。
1998年に発表されたエッセイ『老人力』では
老いることによるボケや物忘れは、新しい事を覚えるために必要であると、
発想を転換し、老化を肯定的にとらえる作品で、ベストセラーとなり、
その年の、流行語大賞にも選ばれた。
「路上観察学会」の活動、著書「超芸術トマソン」など
日常の路傍から芸術を見出す視点を提供した、
非常にユニークな表現者であった。
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前衛芸術家で芥川賞作家でもある、赤瀬川原平さんが
26日、敗血症のため東京都町田市の病院でお亡くなりになった。
赤瀬川さんは、荒川修作さんらと1960年に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。
制作したオブジェを街頭で壊すなど、『反芸術』運動を展開。
1963年に高松次郎さん、中西夏之さんとつくった「ハイレッド・センター」では、
白衣姿で道路の敷石やマンホールの蓋を徹底的に掃除するイベントを行った。
また同年、千円札を原寸大で印刷して作品として発表。
1970年に有罪が確定したが、この「千円札裁判」は、
芸術仲間が、法廷で支援活動を繰り広げ、
「芸術裁判」として、世間の注目を集めた。
1981年、芥川賞を尾辻克彦の筆名で書いた
『父が消えた』で受賞。
1998年に発表されたエッセイ『老人力』では
老いることによるボケや物忘れは、新しい事を覚えるために必要であると、
発想を転換し、老化を肯定的にとらえる作品で、ベストセラーとなり、
その年の、流行語大賞にも選ばれた。
「路上観察学会」の活動、著書「超芸術トマソン」など
日常の路傍から芸術を見出す視点を提供した、
非常にユニークな表現者であった。
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2014-10-27 15:29
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